トークイベント:こころをつなぐ朝鮮通信使

駐大阪韓国文化院主催の韓日交流トークイベント「こころをつなぐ朝鮮通信使〜交流の遺産を未来へ〜」を聴講しました。

これに応募したのは、登壇者が、しっかりとした研究者ばかりだったので、良い話が聴けると思ったからです。そして、行って良かったです!

会場は、ホテル日航大阪 鶴の間。ほぼ満席、事前応募の定員180名は満杯になったようで。

ホテルだけあって、ウェルカムドリンクがありました。

最初は、京都造形芸術大学客員教授中尾宏氏「朝鮮通信使の歴史とその意義」。朝鮮通信使研究の第一人者によって過不足なくまとめられた朝鮮通信使の歴史は、実はあまり詳しくなかった私にも分かりやすかったです。

15世紀の半ばから始まり、途中危機もあったものの、なんだかんだと江戸時代が終わるまで続きました。江戸時代の途中で終わったような印象がありますが、幕末は通信使が来る前に将軍が死亡するなどして頓挫したそうです。明治維新前年の通信使派遣計画は10年後に延期されたものの、江戸幕府自体がなくなってしまうという…


2番目は、大阪歴史博物館学芸員の大澤研一氏「大坂と朝鮮通信使—残留の船乗りたちの日々にみる交流—」。個人的には、一番面白かったです。大韓民国国史編纂委員会蔵「対馬家文書」の中の史料から、大坂独自の朝鮮通信使との関わりについての話でした。

外洋船6隻でやって来た通信使は、大坂で小型の船に乗り換えます。そして、500人の内、400人は京都、江戸へ向かいます。で、残りの100人はというと、これが船乗りたちで、大坂に留まる。船の修理などをしながら(修理するのは日本人船大工)、約2ヶ月を過ごすのです。その間、現在の京セラドーム付近の川に係留した船からは出ることができなかったそうです。そのせいか、病人も出て、日本側が医師を派遣、薬を出しています。

こんな状況を見かねてか、近くの寺で相撲を取らせることに。もちろん、外に出たことが江戸に行ってる通信使本隊に知られたら一大事。というわけで、なんと朝鮮側には内緒で行ったのでした。日本人と相撲するアイデアまで出たようですが、ルールが違うため、怪我人が出ては大変と、結局、朝鮮人船乗り同士で相撲を取ったようです。本隊に黙って勝手にやっちゃうところといい、当時の大坂側役人たちの配慮というかオモテナシっぷりは、なかなかのものです。


3番目は、元高麗美術館研究員片山真理子氏「朝鮮通信使と文化交流」。書画の作例にみる交流の流れを時系列で紹介。相互で交流が進むのは18世紀以降のようですが、確認されている作品の少なさもあり、まだ研究の余地のある分野だなと思いました。


最後に、3人によるトーク。研究の遅れていた韓国では、最近、朝鮮通信使が注目されているようで、学生たちが足跡をたどるイベントも行われたそうです。また、中尾氏が日本の学生たちを現地へ連れて行くと、学生たちは変わるそうです。

世界史的にみても、国境を接した隣国同士が200年間も大きな紛争がなかったのは稀なこと、隣国ゆえの小競り合いは、話し合いからお互い妥協して穏便に済んでいたことなど、その実績と意義は、もっと世界へ発信するべきという話で盛り上がりました。

現在、両国共同でユネスコ世界記憶遺産への申請手続きが最終段階に入っているので、それについて。申請される資料は、外交記録・旅程の記録・文化交流の記録で、両国合わせて111件333点。登録の可否の回答は来年だそうです。

2月17日(土)から始まる大阪歴史博物館の特集展示「辛基秀コレクション 朝鮮通信使と李朝の絵画」では、申請資料にも含まれている資料が観られます。


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